肉体と魂の力学的関係

 

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ランジェリーデザイナーのSUZUNAです🥀

 


早速本題に入っていきましょう

 

 

 

※違う文になっている可能性があります。翻訳OFFにしてください。

 

 

本日は哲学寄りの時間にいたしましょう。

魂と肉体の力学的関係構造

 

これらは、かも有名なプラトン氏の饗宴によるパウサニアスによる言葉になります。

 

〜饗宴とは〜

紀元前、ソクラテスの弟子であるプラトン氏が書き下ろした小説になり

饗宴とはお酒を飲みながら楽な体勢で語り合うという、なんとも普通の飲み会ですね。


 

肝心のパウサニアスによる魂と肉体の哲学

 

 

〜 醜い仕方で為されることは悪しき者の意に、しかも悪しき仕方で従う事であり

美しい仕方で為されることは良き物の意に、しかも良きし方で従うことである

 しかるに、悪しき者とは魂よりも多く肉体を愛するかの卑俗なる愛者を言う しかもその愛するのは永続することはない

 これに関して気高き性格を愛する者は生涯を通じて変ることはない それは永続することと融合しているからである 〜

 

 

簡潔に申しますと、目で見ただけの表面上の姿だけを愛せば愛は永続せず、相手の性格を愛すことができれば愛は永続することと。

 

なんとも綺麗な詩なんでしょう。

 

 

 

さて、ここで魂とは魂の定義を「饗宴」と、グレッチュマーの「天才の心理学」からインスピレーションを得て分析していきましょう。

 

はじめに、肉体の定義とは、神経細胞から心までの3次元で見える感じれる身体や心のことを指します。そして、誰にでも悪しき心があります。

グレッチュマ―は、天才にはデモーニッシュがあり、精神分裂が多くみられると記しています。

※デモーニッシュ=悪魔に取りつかれたような様

※精神分裂=ここでは、現代でいう精神障害と考えます

 

 

さて、魂と肉体の比率を見ていきます。

凡人→5:5

天才→5:5

大天才→5:5

 


ここまでは、一緒です。なぜかというと、肉体と魂があって人間になるからです。

ここまでくると私が何が言いたいか簡単ですね。

 

魂の定義とは、善の方向を指す、方向概念、方向仮設であると考える。

 

ここで初めて均衡が取れますね。

凡人と天才の差異を見ていきましょう。

天才とは秀才ではなく生まれつき才能があり開花できる者を指すと考えます。秀才とは、努力が生じた賜物。これも素晴らしい才能ですが後天的であり、凡人でも天才でも努力し結果を得られることはできるでしょう。そのため、秀才に関しては今回は除かせていただきたい。

そこで、天才のデモーニッシュや精神分裂は、ある一定の分野若しくはアインシュタインであれば、物理数学、最も詳細が描かれていたマイヤーに関して幼少期のころからエネルギー保存に執着していました。

一般的な集中でない事を、グレッチュマーはデモーニッシュといい、回りからすると様子がおかしいなどと言いえる。それを精神分裂とも紐づき、芸術的才能に関して、古くから躁うつ病状態に悩まされている描写もあり、天才とは常に多くの刺激や深く早い思考故に、時間のずれが生じ混乱しそれを知らないまま生涯を終える事がほとんどです。

 

なぜ天才であるにも魂の認知が出来ないかと言うと、本人は魂より肉体を多く感じ取っているからと考えられます。これは、思考の力学関係に至ります。

凡人は魂の認知をしていなくても、自然と善の方位と肉体による思考のバランスを取ることをしています。

 

さて、どんどん核心へいきましょう。天才と大天才の差異

簡単に大天才とは魂が善の方向を指すことを認知しながら、デモーニッシュや肉体による思考とのバランスに均衡を取って、バランスのいい性質を持ち合わすことが出来ている。ここで面白いのが、生まれつき大天才とはおらず、天才を通り進化することができた者を指すと考えられます。

 

さらに、なぜ私が先天性天才だけを持ち込んだか、所謂凡人は天才になる必要が無く、天才も凡人になる必要がない為である。

 

では、天才の進化を大天才としたが、凡人の進化はなにになるか。魂による方向概念を認知しても凡人のままなのだろうか。

 

そうです。凡人とは響きからネガティブに聞こえがちですが、そんな必要はありません。

天才も大天才も、凡人に憧れているのです。デモーニッシュや精神分裂に囚われず、深い思考にも囚われず穏やかに過ごせる事はまさに幸運と考えるでしょう。

 

 

 

ですが、天才が大天才に移行するには自身の気付きと周りの理解が必要になります。

 

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人間はしばしば自らの手で同種を弱らせる。それは悪意と言うより構造の問題である。

 

最も、天才と呼ばれる者であっても精神的進化を遂げているとは限らず、知能の高度化は必ずしも魂の成熟を意味しないからである。

人類は進歩している様で同じ地点を循環しているに過ぎない。肉体は進化せど魂は置き去りにされてきた。それは、生きている事(肉体があること)で同時に観測出来ない不確定性原理と言えるため、魂について永遠のテーマと言われてきた。

 

だがーーー魂のない肉体を観測す事はできるか。

 

私はこう思いたい。全ての人間は必ず善の方位を指すモノは存在するとーーー

 

 

最後はただの私の願いです。そして、これを読んだすべての人に少しの気づきが訪れますように